『雨ニモマケズ』

(カタカナ原文)

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋イカラズ

イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ䕃ノ

小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ッテコハガラナクテモ
イヽトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒドリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ

 

南無無辺行菩薩

南無上行菩薩

南無多宝如来

南無妙法蓮華経

南無釈迦牟尼仏

南無浄行菩薩

南無安立行菩薩

宮沢賢治

現代文訳はこちらから

宮沢賢治さんのこの作品は、私たちにとっても、自然と人間、そして理想と現実との間のバランスを考えるきっかけになる、素晴らしい詩ですね。

カタカナを使っているのは、1931年当時はカタカナに対する抵抗感が今よりも少なかったからかもしれません。

最後の2行では、まだ「そういうもの」になれていないことが告白され、読んでいる私たちにも、理想に向かって努力する姿勢が伝わってきます。

この「なりたい」という言葉から、理想にはまだ遠いけれど、そこに向かって努力している姿が垣間見えます。

残された原文には、はこの詩文の結び「サウイフモノニワタシハナリタイ」の後に、日蓮聖人が顕(あら)わした曼荼羅(まんだら)が記されています。

南無無辺行菩薩(なむむへんぎょうぼさつ)

南無上行菩薩(なむじょうぎょうぼさつ)

南無多宝如来(なむたほうにょらい)

南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)

南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)

南無浄行菩薩(なむじょうぎょうぼさつ))

この詩文のモチーフとなったのは、妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)に登場する『常不軽(じょうふきょう)』という菩薩であるということです。

宮沢賢治さんは、斉藤宗次郎さんをモデルに「雨ニモマケズ」という詩を書いたとされています。

斉藤宗次郎さんは、多くの困難にもかかわらず、揺るがない信念の持ち主で、多くの人々からの厚い人望がありました。

集合写真は、斉藤宗次郎さんが花巻と言う地を去る時に撮影されたものです。

この見送りに来た群衆の中に宮沢賢治さんがいました。

『雨ニモマケズ』

(カタカナ原文)

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋イカラズ

イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ䕃ノ

小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ッテコハガラナクテモ
イヽトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒドリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ

 

南無無辺行菩薩

南無上行菩薩

南無多宝如来

南無妙法蓮華経

南無釈迦牟尼仏

南無浄行菩薩

南無安立行菩薩

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