“正義”の顔をした戦争に、さようなら。
かつて憧れたその人は
剣を持ち、旗を掲げていた
でもその足元にあったのは
倒れた命たちの、声なき声だった
映画やゲーム、小説の中では「戦いの英雄」は輝いて見えるかもしれません。
でも、現実にその“物語”の裏には、命が失われていることを、忘れてはいけません。
今こそ、マインドチェンジのとき。 「誰を英雄と呼ぶか」を、私たち自身が選び直す時代に入りました。
「亡くなった仲間のために戦う」――その気持ちが次の犠牲を生む連鎖に変わる瞬間。
本当にその人の死を無駄にしない方法は、戦いを終わらせることかもしれません。
「足を失っても、もう一度戦いたいんです。仲間のために」
そんな言葉が「美談」として語られる社会で、本当にいいのでしょうか。
その“当たり前”を、一度マインドリセットしてみませんか?
剣を振るった者が称えられ
命を救った者は、書かれなかった
でも、これからの歴史は
ペンを持つあなたが書ける
ナポレオン、アレクサンダー大王、チンギス・ハーン
彼らが「偉大」とされる一方で、戦争を止めようとした人の名は、あまり知られていません。
今、私たちが「誰に拍手を送るのか」を変えることで、次の時代の子どもたちの教科書も変わっていくはずです。
どんな発信にも自由はあります。ですが、自由には責任が伴います。
影響力のある人物が、一方の主張だけを大きく発信した時、それが世界にどんな印象を与えるか――それを常に意識する必要があります。
たとえば、プーチン大統領とジャーナリストのタッカー・カールソン氏の対談を見たときも、私はそう感じました。
どれほど歴史や文化的背景に“理由”があっても、暴力や戦争を正当化するような発信は、慎重に扱うべきです。
今後、世界を変えるのは「誰が何を言ったか」だけでなく、それをどう受け取るかを考える私たち自身かもしれません。
正義を貫くことは、大切かもしれない
けれど、そのために戦ってしまっては
せっかくの正義が
反対の意味に変わってしまう
共感という名の沈黙も
時に、暴力に加担する
私たちはいま
正義のかたちを見直す時に来ている
「英雄」とは、どんな人ですか?
「誰も殺さなかった人」を、英雄と呼べたら…未来は少し、優しくなるかもしれません。
このページに出会った今、ほんの少しでもあなたの心の中で、静かなマインドチェンジが起きたなら、それが希望です。
名を刻むための剣より
命を守る、言葉を選ぼう
誰も知らない英雄より
誰かの涙を止めた人になろう
世界は、今でも変えられる
あなたの優しさから始まるのなら
このページが、あなたの心のどこかに残りますように。
※このページは、国籍や立場にかかわらず、すべての人が「平和とは何か」を考えるきっかけとして作られています。
戦争で大切な人を失ったすべての方に、心から哀悼の意を表します。
もし違う意見をお持ちの方がいたら、ぜひメッセージください。
話し合えることを、私は何より大切にしたいと思っています。