きょうもまた、彼は地平線のかなたを見つめていた。
風に乾いた砂が舞う国境地帯。誰も通らないその場所に、ひとりの父親が立っていた。
息子がいなくなったのは、5年前だった。
16歳の誕生日を目前にして、彼は「すぐ戻る」と言い残し、家を出た。
メキシコ北部、ティフアナ。
アメリカとの国境に接するこの町では、少年たちが突然消えるのは珍しいことではない。
だが、父親にとっては“ただの統計”ではなかった。
最初は警察にも通報した。地元の役所もまわった。
けれど、返ってくるのは「よくあることだ」「麻薬か、密輸か」といった決まり文句ばかり。
それなら自分の足で探すしかない──そう決意した父は、国境周辺の土地を歩き続けた。
そして、彼は気づいてしまう。
この国には「掘れば人が出てくる」場所がいくつもあることを。
彼は、数千人の遺体が眠るという噂の「非公式の墓地」をまわりはじめた。
腐敗の臭いと、乾いた土のにおいが混ざった場所で、彼はひとつずつ遺体を確認していった。
どの顔も、どの骨も、息子かもしれない。
そして違ったときには、ほっとするどころか胸を締めつけられた。
「違う。また違った。……じゃあ、息子はどこにいるんだ?」
数年のうちに、彼は1,000を越える遺体を見てきた。
同じように家族を探す人たちが、メキシコ中から集まりはじめた。
武装したカルテルの目を避けながら、彼らは自分の手で地面を掘り、骨を集め、服のかけらを洗った。
この国では、家族が行方不明になったとき、「警察を待っていては、骨も残らない」のだ。
そんな活動の中で、父は出会ってしまう。
自分の息子の遺骨と──1650番目に発見された遺体の中で。
そして彼は、活動をやめなかった。
「自分の息子は戻ってこない。けれど、他の誰かの息子や娘が帰れるかもしれない」と。
今も彼は、同じように家族を探す人たちと共に、無言で国境を歩き続けている。
加害者の多くは、薬物や金のために動き、犠牲になるのは無力な若者たちだ。
そして何より、私たちはその現実に目を向けることもせずに済む国にいる。
けれど──だからこそ、知ること、伝えることに意味があるのではないだろうか。
見えない場所で苦しんでいる誰かがいる。
それを知ったとき、私たちにできるのは「見て見ぬふりをしないこと」から始まる。
被害者家族の証言と実例
メキシコでは、麻薬カルテルによる暴力や人身取引の蔓延により、行方不明者(失踪者)の数が2022年に10万人を超えたとされています。その大半は麻薬組織に拉致された可能性が高いとも報じられています。
家族の元へ帰らない息子や娘を探し求め、絶望的な状況でも捜索を諦めない被害者家族が各地に存在します。その悲痛な証言や実例は国内外のメディアで度々報道され、問題の深刻さを浮き彫りにしています。 被害者家族の証言例1: メキシコ北部シナロア州に暮らすマンキ・ルゴさん(68歳)は、7年前に失踪した息子フアンさんを今も探し続けている父親の一人です。
彼は同じ境遇の家族たちと共に自ら遺体安置所や野原を掘り起こし、行方不明者の遺骨を探す活動を続けています。
マンキさんはこれまでに何体もの遺体を発見してきましたが、「今度も息子ではなかった」という瞬間が繰り返されてきたと語っています。
発見する遺体が増えるたび、安堵ではなく「また我が子ではなかった」という無念さが募るといい、その言葉からは家族の胸を引き裂くような悲しみが伝わります。 被害者家族の証言例2: ティフアナ(米国との国境都市)の父親エディ・カリーヨさんも、息子エリックさんを探し続けた「捜索者」でした。エリックさんは2019年にティフアナで消息を絶ち、エディさんは以降5年間にわたり息子を追い求めました。
エディさんは手がかりを求めて無数の clandestine grave(非公式の隠し墓地)を自ら掘り返し、1500体以上の遺体を発見・特定してきました。
そしてついに、自身の息子エリックさんの遺骨と対面するという痛ましい結末を迎えます。エディさんの息子は、彼らの捜索グループの尽力で身元が判明した1650番目の遺体となってしまいました。
エディさんは息子を探す過程で同じ境遇の家族たちと出会い、ティフアナで行方不明者捜索の市民団体(コレクティボ)を設立しています。
彼は「自分と同じ苦しみを味わう家族を一人でも減らしたい」と活動を続け、当局の捜査が進まない中で自発的に多くの遺体を家族の元に帰すという成果を上げました。
エディさんは「正義と真実のため戦い続ける」と誓い、息子の遺骨発見後も他の何万人もの失踪者のために戦いをやめない決意を示しています。
こうした家族の必死の捜索活動は、国内外のドキュメンタリーや報道を通じて紹介されています。例えば、2020年製作のメキシコ映画『息子の面影』(原題: Sin Señas Particulares)は、出稼ぎに出たまま消息を絶った息子を探して国境付近を旅する母親マグダレーナの姿を描いており、荒涼とした風景の中で家族が味わう苦悩と希望を映し出しています。
この作品はフィクションですが、メキシコで現実に起きている数多の失踪事件と残された家族の戦いをモチーフにしており、鑑賞者に強い衝撃と問題意識を与えました。 さらに、メキシコ各地では同じ痛みを抱えた家族たちが互いに連帯し、「行方不明者の母たち(Madres Buscadoras)」などと呼ばれる市民グループが組織されています。
彼らは人数を集めて武装組織から身を守りつつ、自分たちの手で野山や空き地を掘り返して骨片や遺留品を探す活動を続けています。
これらの活動は「国家として異常な姿」とも評されるメキシコの失踪問題の人道的危機を象徴しており、国際機関やメディアの注目を集めています。被害者の家族たちの証言は、人身売買や麻薬戦争がもたらす人間的な悲劇の規模を如実に物語っており、単なる犯罪統計の陰にある現実を私たちに突きつけています。
人身売買という悲しい現実は、単なる遠い国の出来事ではありません。
その背後には、薬物の取引や組織犯罪といった、深く根の張った闇があります。
私たちが暮らす日本でも、もし薬物が社会に広がってしまえば、同じような被害が起こる可能性はゼロではありません。
だからこそ、日々を正しく、まっすぐに生きようとする私たち一人ひとりの「意識」が大切なのです。
小さなことでも、社会を守る力になります。
そして、世界中から人身売買という犯罪をなくしていくために、
「自分には関係ない」と目をそらすのではなく、できることを一つずつ、行動に移す勇気が求められています。
それは決して難しいことではありません。
たとえば──
この問題を“知る”こと
家族や友人に“話す”こと
信頼できる情報を“広める”こと
たったそれだけでも、声をあげることは犯罪の抑止力になります。
沈黙してしまえば、闇はやりたい放題になってしまいます。
でも、私たちが目を開き、声を届けるだけで、
その闇には「光」が差し込みます。
一人の声でも、無力ではありません。
むしろその声こそが、未来を変える力になるのです。
※このページは、「平和とは何か」を考えるきっかけなることを願い作られています。
大切な人を失ったすべての方に、心から哀悼の意を表します。